ニュースでは毎日、新型コロナウイルスの話題が尽きません。
外出自粛を求める声が大きくなり、休日は家で過ごしたり、平日は在宅で働く方が増えています。
今は多くの方がTwitterなどのSNSを情報源にしていると思いますが、私はもう何年も前から、Twitterはあまり見ないようにしています。
右から左に、流れては消えていくSNSの話題は、長期的に見たとき、自分の人生の糧になっているのだろうか?と疑問に思うからです。
と言いつつ、久しぶりにツイートしてみました。
国民のフラストレーションが日に日に増長し、冷静さを失ってるように感じます。こういうとき、考え方が一方向に偏ってしまいやすいSNSを見過ぎるのは良くないと思いますよ。
— 川原裕也 (@yuya_q) April 13, 2020
SNSの問題点は、同調圧力が働きやすいことです。
インフルエンサー(影響力のある人)がSNS上で誰かに対して批判的な発言をすると、自分も知らないうちに、インフルエンサーに合わせて誰かを批判してしまう。
自分の考えにもとづいて意見を言っているつもりでも、実は誰かの意見を受け売りしているだけではないか。
他人の発言に「やれ、そうだ」と同意したり、「やれ、そうじゃないだろ」と批判したりするだけの行動は、長期的に見たとき、自分の人生の糧になるのだろうか。
私にとって、他人の行動・発言に同調したり、批判したり、右から左へ流れては消えていくものに時間を消費する自分は「目指す姿」ではありません。
他の多くの人にとっても、ワーワーと誰かを非難したり、誰かの発言にYES!YES!と言っている自分は、目指す姿ではないと思います。
しかし私もただの人間なので、SNSを見続けていると自然とそうなってしまう。
だから、SNSから離れるという選択をあえてしているのです。
私が自立できたのは、あり余る時間のおかげ
前置きが長くなりました。記事の本題にうつります。
今から10年ほど前、私は「無職生活」をおくっていました。
別のブログでもさんざん書きましたが、無職で自宅に引きこもっていたので、外に出歩くこともほとんどありませんでしたし、無一文でした。
ただ幸いなことに、私には実家がありましたので、26歳まで実家の自分の部屋にこもって1日中、パソコンをやっていました。(主に掲示板の2ちゃんねるを見ていました)
当時の私は何一つ持っていなかった。
しかし唯一、私の手にあったのは「あり余るほどの膨大な時間」でした。
無職なので、毎日が夏休みのようなものだったのです。(人生はお先真っ暗でしたが)
今、私は自分で会社を経営し、自力で稼ぎ、生活をすることができています。
無職で何一つ持っていなかった私が自立できたのは、あまりに暇だった(時間がたくさんあった)ので、新しいことを始めてみたからです。
私が当時やったのは「ブログを書くこと」でした。
ブログを書き始めたことがきっかけで、アフィリエイト(ブログから広告収入が得られるビジネス)業界の成長の波に乗り、自立することができたのです。
手にした時間を空気のように消費するのはもったいない
外出自粛によって、リモートワークに変わり、通勤がなくなった人はたくさんいると思います。
また、友だちと遊びに行けないとか、会社の飲み会がなくて、つまらないと感じている人も多いかもしれません。
あるいは、お店の休業などによって仕事が一時的になくなってしまったという方もいるでしょう。
しかし外出自粛によって、これまで自分にはないと思われていた「自由な時間」を手に入れたということは、自分が大きく変化するチャンスを得たということでもあります。
新しいことを始めるには多くの時間が必要。
でも多くの時間は、普段は望んでもなかなか手に入らないもの。
手にした貴重な時間は、何も生まないかもしれませんし、もしかすると自分の人生を大きく変えることにつながるかもしれません。
12年前「暇だからブログでも書いてみるか」と、気軽な気持ちで無料アカウントを作ってみた。私の人生はそんな小さなことがきっかけで、大きく変わりました。
しかし、毎日働き詰めで、通勤し、疲弊し、余裕時間なんてまったくない状況では、ブログなど書く気も起きなかったでしょう。
もちろん、それがビジネスにつながるかどうかなど、考える必要はありません。
私もブログを書き始めた当時、それをビジネスにしようなどとはまったく考えていませんでした。
ただ暇だからやってみた。面白そうだからやってみた。これだけです。
興味があることなら、ダンスでも演奏でも手品でも料理でも、何でも良いと思います。
この機会にエクセルを使いこなせるようになってみようとか、パワーポイントできれいな資料が作れるように勉強してみようとか。
こうしたビジネススキルは仕事にも繋がりますし、クラウドワークスやランサーズのような「クラウドソーシング」を利用すれば、自分が身につけたスキルを活かして稼ぐこともできるかもしれません。
そのような「新しいこと」に取り組めるのは、時間があってこそなのです。
追伸:
そんな私は最近、社会科の勉強をしています。
学生時代にまったく勉強してこなかったドロップアウト組なので、社会科の教科書を読んでいます。(それも小学生の教科書からです)
いま、高校生の世界史の教科書を読んでいるのですが、ちんぷんかんぷんでさっぱりわからず、悪戦苦闘しています。
こうした取り組みは、将来お金になることはないでしょうが、それでも長期的にみて人生の糧になるのではないか。そのように考えて取り組んでいます。
これもすべて、多くの時間があってこそ。
時間がなければ、小学校の教科書を読もうなどとは思いもしなかったでしょうから。