人生で出会う人々は、相手との心理的な結びつきが「近い人」と「そうでない人」に分かれます。
「壁のある関係、壁のない関係」と言えば、わかりやすいかもしれません。
例えば、家族や恋人、友人、一緒に働く会社のメンバーなどは、心理的に「近い人」にあたることが多いです。
相手が自分にとって近い存在か、それとも遠い存在かは誰にでも簡単に理解できると思います。
人はなぜか、近い人を粗末に扱ってしまうことがある
「近い人」は自分にとって大切な存在です。
相手が自分の人生に与える影響も、自分が相手の人生に与える影響も大きくなるからです。
しかし、人はなぜか親しくない第三者と接する時、「近い人」を粗末に扱ってしまうことがあるようです。
二人でいる時はいい奴なのに、(親しくない第三者を交えて)三人になった途端、嫌な奴になる。そんな人と出会ったことはないでしょうか。
そういう人はまるで、距離の近い親しい人を踏み台にして、第三者との関係を良くしようとしているかのように見えます。
しかし、そういう人が取る行動は、自分にとって大切な「近い人」をひどく傷つけてしまいます。
一例を紹介します。
夫が、親しくない第三者に対して、自分の妻を紹介する時に、「うちの家内はダメダメなんですが…」といった紹介の仕方をする。
これは、へりくだる、下手に出ると言われる行為ですが、この発言は妻である人物を傷つけ、またその人の立場を下げることになります。
よく見かける光景ではありますが、この場合、妻となる人物は傷つき、夫に対する怒りを覚えるものです。
なぜなら、普段は優しい夫が、親しくない人を前にした途端、自分に対してひどい発言しかしなくなる姿を、目の当たりにするからです。
これはあくまで一例です。
三者の関係性が違えど、親しくないCとの関係を円滑にするために、Aは大切なBを出しにするべきではないということです。
外弁慶の内地蔵であるべきだ
なぜ人はこのような行動を取ってしまうのか。
近い人に優しくなれないのは、恥ずかしさや自分の立場・地位を守ろうとする心理からくる、自分の弱さだと私は考えています。
二者では平等でも、三者になると、そこにカースト(上下関係)が生まれることを人は本能的に知っていて、その上下関係の中で最下位になることを避けるため、防衛本能として、いつもとは違う言葉を発してしまうのかもしれません。
恥ずかしい気持ちを隠すため、自分の立場や地位を守ろうとするために、気づかないうちに近い人を傷つけてしまっている。
そして、(いわば自分の人生にとって大切ではない)遠い人を持ち上げたり、守ろうとしたりする。
いかなる状況であり、初めて接する相手がいかなる人物であったとしても、遠い人に対しては(少なくとも近い人よりも)優しくする必要はないと思います。
近い人により優しく。
「内弁慶の外地蔵」ではなく、「外弁慶の内地蔵」であること。
「近い人」を本当に大切にできているかどうかは、「二者ではなく三者の状況で試される」ということを、覚えておいてください。