はてなのこたえ

思ったこと、考えたこと、学んだこと

答えのない世界

おもちゃで遊ぶ子ども

かつて、アルベルト・アインシュタインはこのように言いました。

私は天才ではありません。ただ、人より長くひとつのこととつき合ってきただけです。

なにか一つのことについてずっと考えてきたり、一つのことにずっと向き合ってきた人は、やがて「答えのない世界」にたどり着きます。

ここで言う「答えのない世界」とは、グレーな世界(答えが存在しない世界)という意味ではなく、「他の人がまだ達していない、独自の論理にたどり着くこと」を言います。

例えば、一般の人がアートを見ても「なんとなく凄そう」という感想しかありません。(私もアートは得意ではありません)

しかし、その道で10年くらい学んでいると、一般の人には到底見えないものが見えてきます

また、一般の人が絶対に作れない(けどシンプルで大胆な)アート作品を生み出すことができるようになります。

それは10年間、真剣にアートと向き合うことで、専門的な知識、時代背景、巨匠から聞いた話、自分で出した答えなどが熟成され、その結果、同じ作品を見ても、一般人とは違った見え方ができるのです。

そして、1つのことについてより深く学び、より深く考えることでいずれ、自分の論理を理解できる人は減っていき、やがて他の芸術家ですら理解できない領域に達します

これが「まだ誰もその領域に達していない論理」、つまり「答えのない世界」です。

完全な「答えのない世界」にたどり着くことは極めて困難ですが、その業界に精通してはじめて見える「少数派の世界」は、多くの人が経験したことがあると思います。

その道30年の「先輩」がクリエイティブに見えるのは、その人が「より少数派の世界」に到達しているからです。

プロゲーマーという名の発明家

プロゲーマー

プロゲーマーの世界では、天才プレイヤーたちが日々、ストリートファイターなどのゲームを研究し、同じプロである対戦相手の攻略に励んでいます。

ストリートファイターといえば、私たち素人にとっては波動拳や昇竜拳のコマンドが出せるかどうか。というレベルで勝敗が決まります。

これは、ごくごく普通の遊び方の域を出ません。

一方、プロゲーマーの方たちは、0.1コンマのタイミングが勝敗を左右する世界で戦っています。

しかし、0.1コンマのタイミングですら、相手にはすぐに対策されてしまうため、常にまだ誰もやっていない「新しい0.1コンマのタイミング」を見つけ続けなければならないのです。

1つのことについて考え、研究し続けた結果、それを理解できる人は減り、その道のプロしか理解できなくなる。

そしてやがて、多くのプロですら理解できない論理に到達した人が、一握りのトッププレイヤーとして大きな結果を残すのです。

これは、プロゲーマーでも芸術家でも同じです。

1つのことについて考え続け、教科書や恩師のさらに先を行く彼らは、創造者であり、開拓者であり、発明家でもあるのです。

「答えのない世界」には確実に答えが存在します

しかし、まだ誰もその答えに達したことがないため「現時点で答えの存在しない世界」になっているのです。

勇気を持って自分を信じる

道を歩く

色々と考えているうちに「あれ?これってもしかしてこういうことじゃない?」という答え(新しい発想)にたどり着きます。

しかし、他の人に聞いても誰も理解してくれず、ネットで検索しても回答は見つからず、詳しい人に相談してみてもピンとこない顔をしている。そればかりか、世間は真逆の答えを説いている。

そのようなときに、人はつい「きっと自分が間違っているんだろう」の一言で、その考えを終わらせてしまいます。

しかし、深く考えてたどり着いたのなら、それは「自分の答えが正しい可能性の方が高い」のです。

本当に自分の考えが間違っているのかどうか、さらに深く追求した人だけが、「答えのない世界」に到達し、大きな結果を残します。

深く考えた結果、教科書や世間の考えとズレが生じたときこそ、自分の考えを大切にしてください。

教科書の先を行け

地図

アルベルト・アインシュタインの言葉からもう一つ引用します。

専門的な知識を修得することではなく、自分の頭で考えたり判断したりする一般的な能力を発達させることが、いつでも第一に優先されるべきです。

私たちは幼いころから、「教科書は絶対だ」「教師の言うことは絶対だ」と教育されています。

教科書や教師のアドバイスは、ある程度のレベルに到達するまでには、とても役に立ちます。先人の知恵は大いに活用するべきです。

しかし、教科書だけを読んだり、教師のアドバイスだけを聞いていても、先人の「コピー」にしかなれず、決してそれ以上の力は発揮できません。

先人を超えるためには、教科書を捨て、そこから逸脱する必要があるのです。

しかし現在は、教科書を深く深く学び続け、教師のアドバイスに深く深く耳を傾け、それだけで一生を終えようとしている人が多すぎるような気がします。

情報過多の時代には、学ぶことがあまりに多すぎて、学んでいるうちに時間はなくなってしまいます

このような時代だからこそ、「学ぶことをやめる」という姿勢が大切なのかもしれません。

私たちにとって、多くの学びをくれた大切な教科書や教師を捨て、その先の考えに向かうことは勇気が必要です。

「答えのない世界」を進むのはとても怖いことです。

しかし、人とは違う大きな結果を生むためには、それしか道はないと私は考えています。

どんな業界でも構いません。

今なにかの業界でトッププレイヤーになることを夢見ているのであれば、「答えのない世界」へのきっぷである「考える時間」を大切にしてください。

最終的にトッププレイヤーになれなかったとしても、その方が多くの優等生よりも良い結果が残せるはずです。