前回の続きネタで書いてみます。
私は、「教えてもらうことには本当の価値はない」と考えています。
しかし世の中には「教えてもらうことがすべて」だと思っている人があまりに多いです。
「教えてもらうことがすべてだと思っている人」は、第三者から何かを教えてもらうことで、「自分は価値のあるもの(価値ある情報)を手に入れた」と思っています。
彼らにとって「教えてもらうこと」こそが価値あることなので、人生をかけて、人から何かを教えてもらうことだけを延々と繰り返します。
冒頭で述べた私の考えで言うと「教えてもらうことには本当の価値はない」のですから、結局彼らは「価値のないもの」を大量にコレクションして、時間だけを浪費しているのです。
これはあまりにもったいないことです。
私たち人間は動物とは違います。誰かに「しつけられる」ことではなく、自分で「考える」ことによって、私たちは社会を築いてきました。
今の時代は、そうした大切であたりまえのことを、多くの人が忘れかけているような気がします。
本当に価値があることとは?
本当に価値があるのは「自分の中から発生した仮説や気付き」です。
人に教えてもらうのではなく、会話の中で感じ取ることが何よりも大切です。
教えてもらう内容(情報)そのものには価値はありません。
書籍や教科書、先輩や権威などを総称して「先人」と言うならば、「先人との会話を通じて思ったこと、考えたこと、気づいたこと」のみに価値があるということです。
この視点に立つと、「先人がAだと教えてくれたときに、Aは絶対にないな、おそらくBだろう」という自分だけの意見を持つことができます。
しかし、教えてもらう内容や情報に価値があると思っている人は「先人がAと言えば、Aが価値ある情報」だと認識し、思考はそこで終わります。
あらゆることから学べる
「教えてもらうことに価値はなく、そこから感じ取ることに価値がある。」
このような価値観を持つと、あらゆることから学べるようになります。
- どのような人からでも学べる
- 教えてくれない人から学べる
1つは「どのような人からでも学べる」という点。
先人・賢人から学ばなくても、後人(後輩)や愚かな人たちからも、大切なことが学べるようになります。
「自分の中で感じたこと、浮かんできた仮説や気付き」に価値があるので、その入口となるインプット情報は何でも良いのです。
2つめは「教えてくれない人から学べる」という点。
「頑固な職人」をイメージしてください。
彼は頑固者で、腕前は一級の職人ですが、教えるのが下手ですし、面倒見もよくありませんから、何も教えてはくれません。
「俺の背中を見て学べ」というスタンスです。
教えてもらうことに価値はなく、そこから感じ取ることに価値がある。つまり自分のアウトプットに価値を置くと、このような「教えてくれない人」からでも学べるようになります。
そして、学び取ったことを自分の中で熟成させ、昇華させ、「自分で生み出したオリジナル」へと発展させられるようになります。
そうしているうちに、前回書いた「答えのない世界」へと進んでいくことができるのです。
「教えてもらった情報」に価値を感じていると、何も教えてくれない人からは何も学べませんし、もし何かを教えてもらったとしても、先人を超えることはできません。
最後にもう一度、私が人生で得た教訓を述べて締めたいと思います。
「人に教えてもらうのではなく、会話の中で感じ取ることが大切。教えてもらう内容に価値はない。自分の中から発生した仮説や気付きにこそ価値がある」